全国ネットの規模で、「ファクス投資情報システム」が導入されたのは、昭和47年、
    当時の山一證券(株)が最初でありました。
    「生き馬の目を抜く」といわれているほど、あらゆる情報を駆使して株の売買をする証券業界でも、
    ファクスの利用は殆んどなく、共同通信、時事通信からのニュース情報が株の売買材料として使われていました。
      
     私が山一證券(株)をはじめて訪問したのが昭和40年当初頃からで、当時は東京〜大阪間の専用電話料金節約のため、
    二重搬送端局装置(遠距離電話を周波数で区切って2回線として使用する装置)を売り込みに行っていました。 
    昭和46年頃、電話技術主任の山一證券S氏から「株式部で全国規模のシステムを検討している」とのお話をいただき、
    株式部にアプローチしたのが「ファクス投資情報システム」の始まりでした。  
     株式部のK課長を中心に、場電設備とファクス網のシステムが検討されていました。
    早速、システムプロポーザル提出を約束してきましたが、株の売買の仕組み、業務の流れなど、
    まったく分からなかったため、K課長からいろいろ教えてもらいました。また、本を読んで勉強もしました。 
    新富常務(当時、銀行ファクス本部長)、渡辺技術部長、技術の齋藤(寛)さんには何回も同行いただき、
    最終的には共同開発としてシステムをつくりあげました。株式売買の場電設備と全国96支店への一斉、個別、
    系列通信のできるファクスシステムの同時進行でしたから大変な事業でした。
    特に苦労したのは、プロポーザル提出の電話回線網を調べるため、電電公社(当時)には何回も足を運び、
    効率のよい電話回線網をつくることでした。  
     また、他社の活動も活発で、契約ができるまでは夜も眠れぬ思いでした。 最終的には、山一證券
    Y常務(後に社長)から1億余円の金額を正式発注のお言葉をいただき、同時に、新聞発表の相談もいただいた時は
    大変な喜びでありました。  
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