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 『201−M』 |
2005年5月 伊藤 侃 |
その日 私は手提紙袋をさげて2階への階段をのぼり第一会議室に向かった。
会議室では月曜定例の早朝役員会が開かれていた。
しばしの後呼び入れられ、中に入るとあまり広くない会議室には木野代表取締役を始めとする10数人、
木野代表より臨時の商品企画会議を開くとの宣言があり、次期ポータブル写真電送送信機、の簡単な紹介があり、
用意された小机の上に紙袋の中の主役が登場した。
競合社に情報が漏れないよう、社外は勿論、社内秘で開発を進めた為、初のお目見えだ。あまりに発言がない
(後で聞いたところ従来の大きさの概念からかけ離れた大きさだったためのとまどいであった)
次に開発のポイント進行と現在の性能、今後の問題等をかいつまんで説明して、電源スイッチを「ON」。
内臓の小さいスピーカーから我々報道電送関係にはなじみの「ピー ピー ピーコロ」と写真電送音が鳴りだす。
然し原稿写真はドラムの偏心の為上下に振れていた。そこで、ドラムはスプレー缶の利用と説明を入れると、
全員大笑い それまでの堅苦しさは吹き飛んで質問続出、早期商品化してN 社に追い討ちをかけるべしとの大勢で、
発表は成功したが、営業部門、経営トップから発表時期短縮、3ヶ月後の S44年7月にと迫られて、
わが首を絞める結果になってしまった。 但し今後は技術部門、製造部門との協力で完成度の高い発表を狙う事になった。
昭和44年4月終わりに近い日であった。
当時、新聞・通信社では写真電送送信機の小型軽量化は大きな課題で、私がS24年入社以来いつも耳にたこの
出来るくらい聴かされ要望されていた。 201−Gが12.5kgで幾らか、良くなったが、10年以上も改善されず、
ユーザーもいい疲れと言った状況であった。
わが社では、新聞FAX、全自動写真受信機、と言った大物の開発の一段落したこの頃、この問題解決は片手間では
打破出来ないと、社にお願いして、この課題だけの為の特別研究室を開設、直ちに開発を始めた。
2年目の新人と2人のスタートであった。 改めて、軽量小型化のネックを整理して見るが、機構部のモーターに突き当たり
(その10年前の201Gの開発時と同様)、市場調査しても同期モーターで最適なものは皆無、既成機種では諦めるしかなかった。
そこで、何とか低電力同期の出来るモーターの試作をして、成功すれば、それをサンプルヒントにMOTORメーカーに
開発商品化を依頼との考え方を基調にする。
・どんなものを必要としているか?
・AC100V、コンデンサー進相は止めて、 DC10V位の2相駆動、トランジスタAMPは
出力トランスレスの直接駆動に出来ないか?
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この考えを進め、201G系で使われている2W同期電動機を(AC100Vコンデンサー進相)分解し、
捲線方法、線数、等を調べ、TR直結方式実現のため2本並列捲線、予想線径を推定、ステーターに捲線を始める。
モーター捲線なんて素人で苦労の連続、しかし慣れがでてきてまあまあ、数個のコイル捲き、が出来上がり、各コイルを
ローターのスロットに入れ、結線、最終的には2組の捲線となる。 慎重に組立を終わり何とか第一試作機完成。
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開発風景(左端が著者) |
次に電力増幅器を目玉基盤に組み、発振器、可変電源で駆動源を用意していよいよ試作モーターを繋ぎ、
*テストの開始* 緊張の一瞬スイッチ「オン」。電圧を徐々に5V、10V、15Vと上げるが
反応なし、30V位になった時、回転軸がかすかに動く。手で回して見ると回転を始めた。順調に静かな力強い回転だ。
感激! 先が明るく開けた。この方式の足がかりを得て、40〜50V位でかなりのトルクが出ているようだ。
写真電送機の歴史上進歩の一ページが開かれた。 それ以後は規格を希望値にするため数多くの捲線を試作した。
失敗も重ねながら、完成したが、これは藤原社員の努力によるもので、後日商品化の時、
専門メーカーに機械捲では製造出来ないと断られた位、性能、優先の密度高い試作だった。
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大阪万博で活躍する 201−M写真電送機 |
従って製造は201−M用は共栄会社の協力を得て行い、この規格を量産規格に緩和したものは電池使用の出来る
汎用ファクシミリ KD−211(輸出用)、P−1000(国内用)で採用大量生産採用された。またこの技術は大型モーターにも応用、
P−3000のモーターとして活躍した。
201−Mの他の部分の開発は、意地にこだわらず他社ででも良いものは教えを請うとの方針で、
ストロボ用電源高周波トランス、ペンライト用レンズランプ、浜松テレビのミニチュア光電管、カットコーア電源トランス、
ニッケルカドミュウム充電池、半導体と、この時代に優れたものは取り入れ、全力投入で細かい新技術を入れ、
ほぼ重量、大きさ、電力消費、1/3を達成。
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技術設計、品質向上は事業部に移り商品化、報道通信、新聞社、テレビ社で活躍、約20年間のロングセラーを続け2000台を越える商品となった。
ある会合で朝日新聞社の梶さん(報道業界の技術のトップの方)に、
201−Mは非常に良くできた傑作だ、「写真電送の零戦だ」とお言葉を戴いた。長年の苦労が報われた思いで
何よりうれしかった。
このお言葉はこの機種に協力を戴いた方々にお贈りしたいと思います。
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