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熊野古道を歩く(その1) |
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2008年10月30日
齋藤 寛康 |
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熊野古道(中辺路)を歩く熊野三山詣でのツアーに、かみさんと参加してきました。
今回のツアーは、この熊野古道の中辺路ルート(京都〜大阪〜和歌山〜紀伊田辺〜中辺路〜熊野本宮大社〜熊野速玉大社〜熊野那智大社)のうち、人気のハイライト部分を歩く旅です。
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南紀白浜空港より国道42号線から311号線へ入り、富田川に沿い中辺路ヘ向う。およそ40分ほど走ると、右手富田川の対岸に12角形の建物「熊野古道館」が見えてくる。
この向かいが滝尻王子である。 |
熊野古道館 |
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滝尻王子社 |
滝尻王子は、熊野古道中辺路が熊野本宮大社への険しい山道に入る『聖地への入口』滝尻にある王子社で、九十九王子の中でも格式が高いとされた五体王子の一つである。
滝尻王子社は奥州の藤原秀衡による建立とされ、秀衡によって奉納されたという宝剣を神宝としている。
王子社とは熊野の御子神を祭る社のことで、参詣者の休憩所として用いられ、上皇の御幸などでは歌会や奉納の儀式も行われた場所である。
中辺路には、多数の王子社が設けられたことから九十九(つくも)王子と呼ばれる。 |
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社の左手の道を入っていき、石段の急な坂道をしばらく登ると、15分ほどで「胎内くぐり」に到着する。
古道に沿って横たわる巨大な岩があり、それには人ひとりがやっと通れる程の穴(岩と岩のすき間)があいていて、地元の人は、春秋のお彼岸の日には、この岩穴をくぐって山上にある亀石と呼ばれる石塔に参ったそうである。
この岩穴をくぐることを、胎内くぐりとよばれ、女性が胎内くぐりをすれば安産になるという俗信がある。
胎内くぐりを抜け、その上方に乳岩がある。藤原秀衡が熊野詣に訪れた際に、同行のの妻がこの地で産気づき、男児を出産。
秀衡は夢枕に現れた熊野権現のお告げにより赤子をこの岩に残して出発。無事、熊野詣を終えて戻ってくると、赤子は岩肌を流れる白い乳を飲み、狼に守られて無事であったという伝説のある岩である。 |
胎内くぐり |
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杉木立の中を行く熊野古道
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滝尻王子から再びバスで311号線を20分ほど走り、牛馬童子口から、杉木立の中の古道を箸折峠へ向って歩く。
箸折峠の名は、花山法皇がここで弁当を開いた時、箸がなかったため、周囲にある茅を折り、箸に使ったところからついたと言われている。 |
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峠のところに、花山院供養塔が建っている。この宝筐印塔は鎌倉時代のものと推定されている。
花山法皇(968〜1008)は、わずか19歳で最愛の妻を亡くした傷心から策謀にあい、出家、皇位を追われた。
失意の末、わずかな供を連れ、心の平安を求めて熊野詣でへと旅立ち、那智滝に庵を結んだといはれる。 |
箸折峠 花山院供養塔 |
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牛馬童子像(右は役の行者像)
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花山院供養等の脇を上ったところに、可愛らしい牛馬童子像がひっそりと佇んでいる。
明治時代に、悲運の法皇 花山院の旅姿を模して作られたものと言われている。 |
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日置川に架かる北野橋を渡るとすぐ左側に近露王子跡がある。近露王子は、最も早く現れた王子の一つで、鎌倉末期の熊野縁起では准五体王子にあがっている。
後鳥羽上皇はここでも和歌会を催している。境内に杉の巨木があったが、明治末期の神社合祀で廃社になり、今は近露王子之跡と刻んだ自然石の碑が立っている。
「近露」の名は、花山法皇が箸に使うために折った茅の軸が赤く染まったのを見て、「血か露か」と尋ねたことにちなむという。
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近露王子跡の碑 |
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本日の歩きはこれで終わり、バスにて今夜の宿、本宮・川湯温泉へ。ここは、川を掘ればたちどころにお湯が湧くという大塔川を堰き止めた野趣あふれる露天風呂「仙人風呂」(11月〜2月の期間限定でオープンなので、今はできていない)で知られる温泉である。
第2日目、まずは発心門王子へ。ここから熊野本宮大社まで、およそ2時間半の歩きだ。
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発心門王子は五体王子の一つで、特に藤代王子と当王子は共に大鳥居を持ち、饒速日尊を祭神とする王子社である。
発心門とは聖域への入り口という意味で、ここからが熊野本宮大社の神域とされている。その大鳥居のそばにあったことから、発心門王子の名が与えられたという。
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発心門王子社 |
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道沿いの人形(案山子?) |
古道の中にも舗装された生活道路の部分もある。(この部分は世界遺産からは除外されているそうだ)
道沿いに無人販売所があり、木彫りのお面や置物などが置かれていた。また、人形(案山子?)が笑顔で旅人を迎えてくれている。
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発心門王子から歩くことおよそ25分で、廃校になった小学校の隣にある水呑王子に到着。
もとは「内飲水」といわれ、平安末期に新しく祀られた王子だそうである。今も水を飲むことができる。 |
水呑王子跡 |
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伏拝王子跡 |
ここから古道らしい地道に入っていく。雨も本格的に降ってきた。およそ30分ほど歩くと伏拝王子道標があり、坂を登り切ると、伏拝王子の休憩所が見えてくる。
憩所の前の高台が伏拝王子だ。
伏拝王子では、長く厳しい参詣道を歩いてきた参詣者が、熊野本宮大社(旧社地大斎原)を、はじめて望むことができたため、遠く望んで伏し拝んだとされている。
中世の参詣記にはその名がなく、比較的遅い時代に成立したと思われる。
今日は雨で、大斎原を望むことはできない。
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熊野古道を歩く(その2)へ続く |
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