パナソニック電送社友会
会 員 便 り
No.333
台湾一周の旅

2024年12月
植木 圭二

 今年2月から3月にかけて友人たちと行った台湾一周の旅はとても思い出に残る旅になりました。 その旅を今この時期に紹介する理由は、台湾観光のベストシーズンがその頃ということで、 これを読んで台湾旅行のきかっけになってもらえればと思いペンをとりました。
 
第一章 台湾北部
█ 台北の夜
 2月下旬、私と友人たちは旅行会社のパック旅行ではなく、 個人旅行を仕立てて台湾にやって来ました。
 台湾の桃園空港に降り立ち、台北市内に行くMRT(地下鉄)に乗るために便利な「悠遊カード」を買います。 このカードは日本のSUICAのようなものでMRT以外にバスやコンビニでも使えます。
 台北の街は春節(旧正月)が終わったばかりなので、 イルミネーションで綺麗に輝いており、私たちを暖かく迎え入れてくれます。

【春節が終わったばかりの街のイルミネーション】
 私たちは「饒河街観光夜市」にやって来ました。夜市は揚げ物や焼き物などの食べ物屋が多いのですが、 基本的には何でも売っています。人も多く出ており活気に溢れています。特に若者が多いと言うのが印象です。
 その夜市の屋台で夕食を食べましたが、独特の匂いがきついというのが友人たちの感想です。
 
█ ランタン飛ばし
 翌日は観光タクシーを使って台北市の北の方を回ります。観光タクシーは日本語が通じるという条件で日本から予約していました。

 ローカル線の青桐駅からランタン飛ばしで有名な「十分」まで列車に乗り、観光タクシーとは十分駅で待ち合わせをします。このような場合に観光タクシーはとても便利です。
 線路は日本統治時代のものなので線路幅は日本のJR在来線と同じです。

 十分駅では多くの観光客が線路の両側にある土産物屋でランタンを買って飛ばしています。 私たちもそれに加わるべくランタンを買います。
 ランタンは紙で出来ており、サイズは1m四方くらい、4面に筆と墨で願い事を書き入れます。書き終えるとランタンの下の部分にある油紙に火を点けます。 すると熱気球と同じ原理で、ランタンは空高く舞い上がって行きます。

【十分駅のランタン飛ばし】
 
█ 九分
 十分の近くには日本でも有名な台湾の観光地「九分」があり、アニメ映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった街と言われています。 老街と呼ばれる古い街並みがあって、あの映画のシーンに似ています。

【九分の老街】

 昼食は「地元の人が入るような店で、メニューが豊富な店で食べたい」と運転手にお願いして、 地元の人が利用するフードコートに案内してもらいました。
 フードコートでは飲みものを売っていませんから、ビールは外のセブンイレブンで買って持ちこみ、 牛肉麺や水餃子などを食べました。どれも美味しかったのですが、やはり独特の匂いが強烈でした。
 
█ 奇岩の宝庫、地質公園
 「野柳地質公園」は、奇岩の宝庫とでもいうべき公園で、台湾のカッパドキアとも言われています。 それは言い過ぎの感がありますが、様々な奇岩の集まりで日本では類を見ない景勝地です。

 奇岩の中でも最も有名なのが「女王頭岩(クイーンヘッド)」で、 その岩の前に多くの観光客が集まって写真撮影の順番待ちの長い列ができています。雨も降っており私たちはそれに並ぶ根性もなく遠くから撮影しましたが、 確かに見方によってはクレオパトラなどの女王の頭部に見えないこともないでしょう。

 【女王頭岩(クイーンヘッド)と周辺の奇岩】
 
█ 淡水
 台湾最北端の「富貴角公園」を見物し、台湾海峡に面する港街「淡水」で観光タクシーと別れます。
 海の近くは賑やかな老街があり、まだ春節の飾りつけが残っています。港街特有の雰囲気がして、 路地に入るとお洒落な建物もあって横浜や神戸を思い出します。

【淡水のお洒落な街並み】

 地元の人が夕食を食べている小奇麗な食堂に入り、鍋料理を注文します。 ビールはもちろんセブンイレブンで買い込んで、乾杯して夕食が始まります。
 玉子麺入り辛味鍋を注文しましたが、“玉子麺入り”の名前どおり、 鍋にはインスタントラーメンの乾麺が1個丸ごと入っていました。これも台湾流かもしれません。
 
█ 台北を散策
 翌日、台北市内観光をします。台湾最古の寺院「龍山寺」をはじめ、 「総統府」、「中正記念堂」などの中心部には日本人や外国人観光客が非常に多いようです。
 中正という言葉について説明しておきます。台湾つまり中華民国では、 初代総統の蒋介石のことを蒋中正と呼んでおり、中正が付く場所は蒋介石に関連する施設になります。

 【中正記念堂から見た広場】


 「台北101タワー」は高さ508m、101階の高層ビルで、 台湾では縁起が良いとされている竹を模したデザインになっています。 さらに台湾では数字の八が末広がりで縁起が良いので、このタワーには竹の節が8つあります。
 ちなみに日本で一番高いビルは「麻布台ヒルズ森JPタワー」ですが、 その高さは325m、64階しかありません。台湾の資本主義経済の発展度合いには驚かされます。

【101タワー】

 地下には大きなフードコートがあり、 日本の一風堂やモスバーガーもあって台湾の多くの中高生たちが利用しています。 台湾では日本食チェーン店はとても人気があるようです。
 
█ 烏来(ウーライ)温泉
 MRTで郊外に行き、そこからバスに乗り換えて「烏来温泉」に向かいます。 ローカルな路線バスなので地元の人たちの生活を肌で感じることができます。
 烏来温泉は川沿いにできた古い温泉街なので、日本の鬼怒川温泉のような雰囲気がします。

  【烏来温泉】

 夕食を食べるために歩いていると、食堂の入口に立っていた看板娘が店内に招き入れてくれます。 看板娘は何と90才で、この年代の人はギリギリ日本統治時代に生まれていますから片言で日本語が話せます。
 山豚と書かれた肉はイノシシの肉と思ったのですが、山間地の農家で育った豚の肉のことのようです。 北京ダックと説明してくれた鶏肉も何か怪しい感じがしてきます。
 それでも川魚の料理は、魚を蒸し焼きにして上から野菜を乗せて醤油ダレを垂らしたもので、 さっぱりしていて揚げ物や濃い味に飽きてきた頃なのでありがたくいただきました。

  【川魚料理】

  今宵泊まるホテルには男女別の大浴場があります。いくつかの浴槽があって、サウナも水風呂もあり、 渓流沿いのベランダには簡易ベッドが並んでいるので日本の温浴施設のようです。
  私たちが入浴していると、地元のおじさんが日本語で話しかけてきました。 温泉に浸かりながら地元の人とのコミュニケーションが始まり、テレビの旅番組のシーンを彷彿させます。
 
█ トロッコ列車
 翌朝、温泉街の奥にあるトロッコ列車の駅に行きます。このトロッコ列車は日本統治時代に敷設され、 木材の運搬と観光客の送迎を兼ねていましたが、現在は観光専用になっています。

 トロッコ列車の終点駅には土産物屋が何軒かあって桜の花が咲いており、 目の前には高さ80mの「烏来滝」があります。 台湾は山が多いから水も豊富で川も多く、滝もあるから、温泉に滝という日本の観光地に良く似ています。

【トロッコ列車と烏来滝】
 帰りはトロッコ列車に乗らずに線路と並行している歩道を歩いて帰ります。 温泉街に近づくと河原で穴を掘った露天風呂が現れます。   欧米の観光客たちが水着を着て入浴しています。日本では珍しくない光景ですが、 欧米人にとっては川が温泉になっていることも、そこに入るということも非日常なのでしょう。
 
第二章 台湾南部
█ 新幹線
  台湾北部の首都台北市から台湾の新幹線「台湾高速鉄道」に乗って、南部最大の高雄市に向かいます。 台湾は九州と同じくらいの大きさなので、その距離345kmも北九州~鹿児島間とほぼ同じです。
  この高速鉄道は日本の新幹線技術を導入したので、2列3列の座席配置は日本の新幹線に乗っているような気分です。 ワゴン販売もあって売り子が売りに来るのも日本的です。 いや最近の日本の新幹線ではワゴン販売を廃止した列車も増えており、むしろ懐かしさを感じます。

 【台湾高速鉄道の客席と車内販売】
█ 高雄の夜
  高雄の街を歩きながらホテルを探していると、親切なおばさんが道を教えてくれます。
  私たちは教えてもらった方向に歩き、おばさんが教えてくれた付近まで来ましたが、 目的のホテルがさらに先だと気付きます。すると先ほどのおばさんが追いかけて来て、 中国語で「間違った宿を教えてしまった。本当はもっと向こうで・・・」というようなことを言っています。 結構な距離を走ったようで彼女の息は上がっており、私たちは「大丈夫、わざわざありがとう」と日本語で伝えて別れました。
  私たちが日本人だからなのか、分からないですが、おばさんの親切に驚き申し訳なく思いながらもホテルに向かいます。

  ホテルにチェックインして「六合観光夜市」に行きます。ここは観光夜市ではないので、ほとんどが地元の人のようです。
  温暖な台湾でも北部から南部に来たのでさらに暖かく感じます。 そのためかミニスカートやホットパンツの若い女性が多いように感じます。

 【六合観光夜市】
  夜市にも慣れてきて、店の前の露天に並んだテーブルに椅子を持ってきて各自好きな物を注文して食べます。 私は海鮮粥を食べましたが、あっさりとしていて食べ易くて、 仲間たちは「台湾は北部よりも南部の料理の方が日本人の口に合うね」と言っていました。
█ 船に乗って
 翌日、渡船に乗って「旗津半島」に渡ります。 この半島は横に長く10kmくらいあるので半島の付け根に運河を通して船が通行できるようにしたので、 実態は島になっています。
 私たちは「高雄灯台」に登り、 台湾本島を臨むとカラフルな建物がいくつも建っています。まるで別の国に来ているような錯覚に陥りました。

【高雄灯台から見た台湾本島側のカラフルな建物】
█ 哈瑪星(はません)
  半島から戻り、船着き場近くの「哈瑪星台湾鉄道館」にやってきました。 レトロな波止場跡には線路が敷かれた広場があり、 その奥の倉庫群は横浜の赤レンガ倉庫街のようになっています。

  日本統治時代、港で発展したこの地区は海岸沿いには鉄道が走っていて“浜線(はません)”と呼ばれていました。 今もその名残で哈瑪星(はません)と当て字が使われています。 日本語ではこのような場合はカタカナを使うのですが、中国語は全て漢字なので分かり難いようです。

  公園から市街地に向かって高雄湾沿いに高層ビルが林立する一帯は、都会の港を感じさせてくれます。 古い街並みや屋台ばかりではなく、近代的な台湾を見ることができました。

【哈瑪星の公園からLRTがのびる高層ビル】
█ フードコートで昼食
  近くのスーパーで食料を買い込み、フードコートで昼食にします。
  果物の「ナツメ」は、見た目は青いリンゴのようですが、 食べてみるとみずみずしくナシのようで、私にとってはナシよりも美味しく感じられます。
  ナツメは日本では手に入らない果物で、産地は台湾南部に集中しており12月〜2月が収穫時期なので、 ちょうど今が旬の最後の時期になります。

【果物の「ナツメ」】
█ レンタカー
  高尾でレンタカーを借ります。
  台湾では国際運転免許証は使えませんから、 日本の運転免許証と日本台湾交流協会が発行する中国語訳が必要です。
  交通違反の罰金は車の所有者が支払うルールになっています。 従って罰金が発生すると警察からレンタカー会社に請求がくるのでクレジットカードの登録を要求されました。 ETCの高速道路代も同様です。
  台湾の交通規則は日本と反対で車は右側通行です。 さらに高雄市の人口は約270万人で、オートバイが多いので、かなり気を使って運転することになります。

【レンタカーから撮った高雄市内の道】
█ 最南端
  台湾最南端の「ガランビ公園」に来ました。展望台に登ると右に台湾海峡、 左に太平洋、正面はバシー海峡だと看板に書かれています。 海峡とは陸地と陸地の間の海を指すものなので、バシー海峡の向こうにある陸地はどこかと調べると、 それはフィリピンになります。そんな遠い場所まで来ているということを実感しました。

【台湾最南端のガランビ公園】
  近くの小さな食堂に入り、注文にも慣れてきたので庶民的な料理を注文します。 炒飯はチャーハン、炒麺は焼きそば、鍋焼麺は小さな釜に入っているうどんになります。
  台湾の南部は北部に比べて味があっさりしていて、香辛料も抑えてあるので、 日本人の口に合うようです。軽い気持ちで入った食堂ですが、 満足できる昼食に出会えて得をした気分です。
█ 南部の海岸を走る
  最南端までは台湾の西側の台湾海峡側を走ってきましたが、 これからは東側つまり太平洋側を北上します。海岸線には綺麗な景色が広がります。

  狭いカーブで対向車が来ると、日本では少しスピードを落として譲り合いますが、 台湾では突っ込んできます。先日乗った観光タクシーの運転手は「台湾の運転は譲り合いではなく、 突っ込んだもの勝ち」だと言っていたことを思い出しました。

【台湾最南端から少し北上した太平洋側の海岸線】
█ 知本温泉
  台湾南部の「知本温泉」は日本統治時代に開発された温泉ということで知本という日本名がついいます。
  今夜泊まるホテルは大きなリゾートホテルで、 玄関近くに源泉の吹き出し口があって103℃と書かれています。その高温の源泉を利用して温泉玉子を作っています。

  ホテルには大浴場がありますが、烏来温泉のホテルのように男女別で裸で入る大浴場ではなく、 水着を着て入る混浴大浴場になっています。 中国人は同性の家族でもあまり裸を見せないというから、これが一般的な台湾の入浴スタイルなのでしょう。

【泊まったホテルの半露天の混浴大浴場】
█ 夕食
  夕食を食べるために温泉街を歩きます。温泉街は烏来温泉よりも広範囲で近代的な感じがします。 しかしここはあえて近代的なレストランを選ばずに地元の人が食べる小さな食堂に入ります。 店はあまり綺麗とは言い難いですが、素朴な雰囲気が気に入りました。

【知本温泉の地元民が食べる食堂】
  テーブルに着くと店の女将が注文の紙を持ってきます。 その紙は店の料理一覧表になっていて価格も書かれているので、 個数欄に数字を書きこむことで注文できる仕組みです。
  私たちは隣のテーブルの地元の中年夫婦が食べている料理を指差して、 女将に「あれと同じものを」と日本語で注文します。 中年夫婦もこちらの作戦を理解したようで「これも美味いよ」と思われる言葉を中国語で言いながら、 料理と一覧表の位置を指差してくれます。
  空心菜と豚肉の炒め物が写真付きで壁に貼ってあり、 私が身振り手振りと日本語で豚肉の代わりに牛肉にして欲しいと交渉して、これも何とか注文できました。
█ 池上弁当
  知本温泉から北に向かって走り、 池上駅前の弁当屋で1個100元(約500円)の弁当を購入しました。池上弁当は台湾で一番有名な弁当だそうです。
  私は、弁当は日本だけのものかと思っていたので台湾にもあったことに驚きましたが、 調べてみると1939年頃からこの付近で弁当販売が始まったとのことで、それは日本統治時代です。

【池上弁当】
 
第三章 台湾中部
█ 太魯閣(タロコ)国立公園
  台湾の東側をさらに北上し、太魯閣国立公園に入ります。
  太魯閣国立公園の見どころは何と言っても「太魯閣渓谷」で、太平洋にそそぐ立霧渓という川の渓谷になります。
  立霧渓を遡り山間地に入ると左右に断崖が続き、高い山には雲がかかっており、 深い谷の下を立霧渓の清流が流れています。 くねくねした道路は時々橋を渡って川の左や右へと位置を変え、 道路も橋も、新しく広い新道と古くて狭い旧道とがあります。 旧道には自動車も通れない狭い橋もあることから自動車が普及する前から景勝地として存在していたことが分かります。

  狭くて低い半トンネルでは、前を行くバスがセンターラインを大幅にはみ出して走行しています。 バスの屋根はトンネルの天井をこする寸前で、とてもスリリングです。

【太魯閣渓谷の道路】
█ 太魯閣のホテル
  今夜泊まるホテルは太魯閣渓谷にあります。
  太魯閣国立公園の見どころは何と言っても「太魯閣渓谷」で、太平洋にそそぐ立霧渓という川の渓谷になります。
  台湾は1泊朝食付きのホテルがほとんどなので、私たちはセブンイレブンで弁当を買い込みチェックインします。 2階のベランダには屋根付きのスペースがあり、BBQをすることもできます。ここで弁当を広げて夜の宴になります。
  セブンイレブンの弁当は日本と台湾の味が混ざったような味をしており、 想像していたとおり食べ易いものでした。今回の旅行ではセブンイレブンにずいぶん助けられました。

【太魯閣渓谷で泊まったホテル 2階のBBQスペースが見える】
  私たちが訪問した約1か月後、太魯閣国立公園一帯は台湾東方沖地震で甚大な被害を受けました。一刻も早い復興を祈っています。
█ 標高3275m
  朝早くホテルを出発します。私たちの車はくねくねした狭い道をひたすら登って行きます。 時々見かける道路標識には標高も書かれており、既に2000mを超えています。
  標高2374mの関原には何軒ものホテルが建っており、 ガソリンスタンドもあります。日本ではとてもこの標高では考えられません。
  ちなみに日本の国道の最高標高地点は群馬県と長野県の間の渋峠で標高2172mです。

  標高は3275mの武嶺(ウーリン)にやって来ました。台湾の国道の最高標高地点で、 駐車場があって多くの車やオートバイが停まっています。
  サイクリストも多くいます。しかしここまでどうやって登って来たのか疑問になります。何しろ平地に比べて空気が薄く、 およそ2/3しかありません。「ゼーゼー、ヒーヒー言っても登れるレベルではない」と友人が独り言を言っていました。

【武嶺3275mの標識】
█ 日月潭
  山を下って台湾のほぼ中央に位置する湖「日月潭」にでます。台湾最大の湖で湖面の標高は749m、 面積は7.7 km²ですから、箱根の芦ノ湖が標高724m、面積7.0 km²なので標高もサイズも似ています。
  日月潭は、昔は自然湖でしたが日本統治時代に発電所を作るためにダム湖にしたので広がって今の面積になったそうです。

  私たちは湖畔を少し散策した後、遊覧船に乗って湖を一周します。 夕方なので山の端に太陽が沈む幻想的なシーンを見ることができました。
  湖畔には遊覧船が発着する港が3カ所あり、その周辺に大きなホテルが林立しています。 日本有数の観光地の箱根の芦ノ湖と比べても、明らかに日月潭の方が賑やかです。

【湖畔にあるホテル群】
  その湖岸のホテルに宿をとってあり、夕食は宿近くの食堂に食べに行きます。
  賑やかな通りが何本もあって、観光客で食堂は満席ですが、私たちは街はずれの地元の人々が食べる食堂に入り、 いつものように隣のテーブルの美味しそうな料理を指差して「これと同じもの」と言って注文します。
  せっかく日月潭に来たのでこの湖で獲れた魚料理も注文します。烏来温泉で食べた魚料理のように魚を蒸し焼きにして、 上から野菜を乗せて醤油ダレを垂らした料理で、とても美味しくいただきました。
█ 阿里山を目指す
  翌日、台湾で人気の観光地「阿里山」を目指します。ただし阿里山に登るのは日の出を見るために早朝になるので、 本日は阿里山の麓の街はずれの山の中腹にある宿に泊まります。ここは今回の旅では最も田舎の宿になります。
  宿の名前が「サンライズ23.5N B&B」になっています。23.5Nは緯度のことなので、北回帰線(北緯23.3度)とほぼ同じです。 つまり夏至の日は太陽がほぼ真上になります。それを思うと夏至の頃に訪れたくなります。

【サンライズ23.5N B&Bからの景色】
█ 阿里山
  阿里山と言ってもかなり広く、その中心的な「阿里山国家森林遊楽区」は標高2000mを超える山岳地帯で、 遊歩道、バス、森林鉄道が整備されています。

  私たちは翌朝早く起きて宿を出発し、4時30分に森林遊楽区に到着すると駐車場は満車に近い状況です。
  森林鉄道に乗って標高2216mの阿里山駅から標高2451mの祝山駅までの6.2kmを登ります。 25分で到着するので時速15kmにも満たない自転車並みのスピードです。

  この鉄道は日本統治時代に木材の運搬のために敷かれた鉄道で、現在は観光列車として運行しています。
  車内アナウンスが中国語、英語に続いて日本語でも流れます。 日本人観光客が多いからでしょうが、この鉄道が日本統治時代に敷かれたことへの感謝の意かもしれません。

  祝山駅から歩いて展望台に登ります。看板には日が出るポイントが書かれており、 今は「玉山(ぎょくさん)」の左の端から登るはずですが、 残念ながら曇っています。それでも薄っすらと明るくなっており、あの辺りから出てくることが想像できます。
  玉山の標高は3952mで富士山よりも高く、そのため日本統治時代は日本の最高峰になるので、 明治天皇が玉山を“新しい高い山”で「新高山」と名付けました。 この山の名前が真珠湾攻撃の時の出撃命令「ニイタカヤマ ノボレ」に使われたことは有名です。
  その歴史的な新高山が私の目の前にあり、そこから今まさに日が昇ろうとしています。 この状況に置かれ、さすがに感無量です。

【日の出のシーン 明るいところの右の高い山が玉山(新高山)】
█ 奮起湖から十字路へ
  かつては中西部の中核都市の嘉義市から奮起湖という街を経由して阿里山駅、 そして祝山駅まで鉄道が繋がっていました。しかし現在は線路が寸断されて阿里山駅までは行けませんが、 奮起湖駅から2駅先の十字路駅までは繋がっています。
  列車に乗って十字路駅に到着すると、駅にはホームもなければ改札もありません。 列車を降りて線路の脇を歩いて何となく駅の構内から外へ出ます。上を見上げると満開の桜が私たちを出迎えてくれます。

【十字路駅のホーム】
█ 八田記念公園
  山岳地帯から外れて台湾南西部の「烏山頭ダム」にやって来ました。 このダムは日本統治時代に日本人技師の八田興一(はったよいち)が完成させたものです。
  完成当時は東洋一の大きさを誇り、巨大ダムと総延長16000kmの給排水路によって 水害や干ばつの被害が多かった嘉南平原が台湾最大の穀倉地帯になったそうです。
  そのため興一は台湾の教科書にも載るほどの英雄になり、烏山頭ダムに隣接して記念公園もできました。

  今から約100年前、與一が34才の時に工事を始め、10年かけて完成させました。 異国の地で、技術者でありながら現場指揮を任され、大変な苦労をしたに違いありません。
  ダムを臨む場所に與一の墓があって、その前に與一の座像があります。 私たちは墓の前で手を合わせ、彼の労をねぎらい功績をたたえました。

【八田與一の墓と座像】
█ 台南
  台南市でレンタカーを返却し、タクシーを拾って台南市の安平地区に繰り出します。
  安平には観光名所が集まっている区域があって、「安平開臺天后宮」という寺院を拝観し、 「安平堡」というオランダが築いた城塞の跡を訪れます。

  台湾の歴史は今から400年前の1624年にオランダ統治から始まります。その頃にこの安平堡も造られました。
  ここまでの旅では日本統治時代のものは多く見てきましたが、初めてオランダ統治時代のものに出会いました。
  400年前の日本は、徳川家康が亡くなって間もない頃で、その後に鎖国になります。 しかし鎖国をしても日本とオランダの交易は続いたので、 この安平には日本に渡るオランダ船が寄港し、日本とオランダと台湾の文化交流の場になっていたのでしょう。

【オランダが築いた城塞「安平堡」の跡】
█ ランタンフェスティバル
  今年は台南市誕生400年という節目の年なので台湾最大の光の祭典「ランタンフェスティバル」が開催されます。
  会場の安平港付近の公園には多く人が集まっており、 方々でコンサートやストリートミュージシャンの演奏もあって屋台も出ていいます。 当然のように飲んで食べているので、トイレに行くのですが、面白いトイレを発見します。
  トラックの荷台を改造した移動式のトイレで、荷台には男女別のトイレがあります。
  私は災害の多い日本にもこんな移動式トイレがあれば良いのにと頭によぎりました。

【ランタンフェスティバルで見た移動式トイレ】
  ランタンフェスティバルが始まります。 私は十分駅のランタン飛ばしのようなものと思っていましたが、 ランタンは飛ばさず夜空のドローンショーです。たくさんのドローンを発光させ、色を変え、 ショーを演出します。夜空に建物や文字が浮かび上がり、 地上からはレーザー光線の照射と盛大な花火が打ち上げられます。

【ランタンフェスティバルのドローンショー 台湾400の文字】
  翌日には台南から台北まで5時間かけて急行列車で移動して、台北で最後の晩餐をします。 そして日本行きの飛行機に乗って2週間の台湾旅行が終わりました。
█ 台湾を思う
  今回の台湾は私にとっては4回目の訪問になります。 ただ今回ほど台湾を肌で感じたことはありません。 それはレンタカーをはじめ様々な交通機関を利用してほぼ台湾を一周し、 好んで地元の人たちが利用する食堂で食事をとり、多くの親切に助けられたことからかも知れません。

  台湾には自然や歴史的建造物が多くあるのに世界遺産は1つもありません。 それは1971年に大陸の中華人民共和国が中国を代表する国家として承認され、 当時これを不服とした台湾(中華民国)は国連を脱退しました。 世界遺産はその国連のユネスコが管轄しているので台湾には世界遺産がありません。。

  台湾の国際的な立場は微妙で、特に中国との政治的問題はいかんともし難いので、 台湾有事という言葉が最近は現実味を帯びています。
  その意味でも早めの訪台を私は友人たちに勧めています。
█ 旅の記録
  気になる旅行費用については、14日間の宿泊費・飛行機代含む交通費・アルコールを含む飲食代など総費用は約23万円でした。

  最後に今回のルートを地図に示しておきます。

 
 以上、台湾一周の旅を簡単に紹介しましたが、 これよりもさらに細かくて、より具体的な旅行記「台湾の旅2024」を別途公開しています。
 「旅のチカラ研究所」のホームページの旅行記「台湾の旅2024」を是非ご覧ください。
  http://tabinotikara.com/index.html

植木圭二
 
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