パナソニック電送社友会
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No.307
ネパール紀行

2023年8月
植木圭二
 
 旅行会社のパッケージツアーを使ってヒマラヤ山脈の麓にあるネパールに行ってきました。ツアー参加人数は私たち夫婦を含めて8人、 日本からの添乗員は同行せずに現地ガイドが案内してくれました。山と信仰の国のネパールの旅を紹介します。
 
█ 喧噪の街
  ネパールの首都カトマンズの街には、無数のオートバイが走っています。そこにタクシーや乗り合いバス、 そして歩行者も混じっており、クラクションの音が常に響き渡る喧騒の街になっています。
  カトマンズの緯度は日本の奄美群島とほぼ同じ、それでも標高1300mの内陸なので夏と言っても比較的過ごしやすく、 気温は30℃に届かない程度です。それよりも排気ガスが凄くて車の窓を開けて走る気にはなりません。 幸いにも私たちのバスは旅行会社がチャーターしたエアコン付のバスですが、乗り合いバスはもちろんのこと 乗用車やタクシーは窓を開けて走っており、エアコンは付いていません。
  そして信号機はほとんどありません。交差点では信号機の代わりにヨーロッパに多いロータリー交差点を見かけますが、 それもそんなに多くなので、主要な交差点では警察官が手信号と笛で交通整理をしています。 警察官の最大の敵は排気ガスとホコリだと現地ガイドが説明してくれました。

【喧噪の街 青い服を着た警察官は交通整理をしている】
 
 ホテルで何度か停電を経験しました。短時間で復旧しましたが、ホテルの部屋にマッチとローソクが備え付けてあるところを見ると、 長く停電することもあるようです。そうなると交通整理を信号機に頼っていてはむしろ危険かもしれません。
  電気と言えば電線ですが、電信柱には電力供給の電線以外に電話やインターネット回線のケーブルがたくさん架かっています。この光景にも驚いてしまいます。

【喧噪の世界 排気ガスで曇って見える道路、そして無数の電線】
 
█ カトマンズの谷
  カトマンズ一帯はヒマラヤ山脈の麓の盆地で、この盆地が「カトマンズの谷」という名称で1979年にユネスコの世界遺産に登録されました。 1979年は私が会社に入社した年です。それは関係ないのですが、世界遺産の登録が始まったのは、その前年の1978年からです。 現在の世界遺産の登録総数は1100件以上もありますが、2年目に登録されたカトマンズの谷は、 昔から文化的価値が高く評価されていたことが分かります。ちなみに日本の世界遺産登録は1993年からです。
 
 カトマンズの谷は直径約20kmの範囲に、世界遺産の構成資産として7つの寺院や王宮があり、 それ以外にも約900の歴史的建造物があります。ただし2015年の大地震で甚大な被害を被って未だに修復中のものが多いのも現実です。
 
 ネパールの歴史は、4世紀頃にはネパール王国が成立し、その後3つの王国に分裂しました。 18世紀に再統一されてカトマンズが首都と定められました。現在はそれら3つの王国を受け継ぐ形でカトマンズ、バクタプル、パタンという3都市があります。
 
 世界遺産になっているカトマンズの「ダルバール広場」には旧王宮や寺院があり、市民の憩いの場になっています。

【カトマンズのダルバール広場】
 
 実はダルバール広場はカトマンズだけではなく、3つの王国全てにあります。
 ダルバールとは、ネパール語で王宮を意味しているのでダルバール広場は王宮広場ということになります。 ですから3つの王国にダルバール広場があるのは当たり前で、3つの王国は栄華を競い合い、それぞれの国に芸術性の高い建物が建造されました。

 バクタプルは古都として美しい街で、その世界遺産「ダルバール広場」には旧王宮や寺院が中世の雰囲気を色濃く残しています。 旧王宮には大きな沐浴場がありますが、残念ながら少し朽ち果てています。

【バクタプルのダルバール広場】
 
  パタンの「ダルバール広場」も世界遺産です。3つの都市の中でも私が最も気に入ったダンパール広場で、 旧王宮には見事な中庭が3つあります。そのうちの1つに沐浴場があり、バクタプルの沐浴場よりも小ぢんまりしていますが、装飾はこちらの方が見事です。

【パタンのダルバール広場の沐浴場】
 
  カトマンズはチベットとインドを結ぶ交易の中継点なので、カトマンズの谷にはインドのヒンズー教とチベット仏教が共存しています。

 ヒンズー教は多神教ですから多くの神がいます。シヴァ神は有名で、像の顔をもつ神ガネーシャも人気があります。 猿の顔を持つ神もいて神は無限にいるとも言われています。そのために仏教との共存も全く問題なかったようです。

 「チャングナラヤン寺院」は4世紀に建てられたネパール最古のヒンズー教寺院で、カトマンズから少し離れた山の上で、観光客があまり来ないところにあります。 私たちがその寺院を拝観していると、参拝に訪れた地元の女性たちの集団と出会いました。 彼女たちは派手なサリーを身に着けています。ヒンズー教徒は色彩豊かで、赤は美の象徴というから赤を基調にしたサリーが多いようです。

【チャングナラヤン寺院とサリーを来た参拝者たち】
 
  仏教は釈迦族の王子だったガウタマ・シッダールタが悟りを開き、その教えが経典になりました。 サンスクリット語で目覚めた人のことをブッダ(仏陀)といい、仏教と呼ばれるようになりました。
 開祖のガウタマ・シッダールタ、つまりブッダはネパール南部のルンビニ村で生まれました。 インドで生まれたと思っている人も意外に多いかもしれません。

 ネパールのチベット仏教の寺は金色に輝くストゥーパ(仏塔)が中心にあり、ストゥーパにはブッダアイ(仏陀の目)が描かれています。 片目が“情け”、片目が“知恵”と言われており、開祖ブッダは情けと知恵の重要性を悟ったということかも知れません。

【街の中にある仏教寺院のストゥーパ、ブッダアイも見える】
 
█ エベレスト遊覧飛行
  ネパールという国の財産は何といっても山です。世界最高峰8848mエベレストを筆頭に世界で8000mを超える山は14座しかないのですが、そのうちの8座がネパールにあります。

 朝早く、私たちはそのエベレストを空から見るためにエベレスト遊覧飛行をする飛行機に搭乗しました。
 飛行機は50人乗りのプロペラ機で、真ん中の通路を挟んで左右に2列ずつ席がありますが、通路側の席は予約を取っておらず 窓側だけに人が座るようになっています。エベレスト観光に賭ける会社、いやネパールという国の意気込みを感じます。

 
  私たちを乗せた飛行機は離陸し、ぐんぐん高度を上げて雲の中に入り、やがて雲を抜けて水平飛行に移行しました。
 雲の上の天気は良く、雲海が続き、その遥か彼方に山が見えてきます。山は雲海の上に突き出ているので、海に浮かぶ島のようにも見えます。
 前方からは次々に高い山が見えて、そして後方に移動して視界から消えていきます。

 そんな景色を堪能していると、女性CA(客室乗務員)がやってきて「That is SGARMATHA(あれがサガルマータです)」と言って前方の山を指差しています。私はその言葉を受けて「Is that EVEREST(あれがエベレスト)?」と聞くと、彼女は「Yes」と答えてくれました。

【世界最高峰8848mのエベレスト】
 
  世界最高峰8848mの山の英語名はエベレストですが、ネパールではサガルマータ、反対側のチベットではチョモランマと呼ばれています。 ネパール人のCAはネパール語のSGARMATHA(サガルマータ)を使ったようです。
 エベレストは他の山より頭ひとつ高く、そして何よりも恰好良く、ある種の威厳のようなものを感じます。
 おそらく雲海の標高は5000m~6000mで、エベレストは雲海の上に3000m以上出ていることになります。 そう思うと富士山の3776mはこの雲海の遥か下で、世界の屋根と言われるヒマラヤ山脈の凄さに圧倒されます。
 
█ ホテルと食事
  今回の旅行では食事の半分くらいはホテルのレストランで食べました。 旅行の前半2泊がカトマンズの市街地の便利な場所にあるホテル、 後半2泊がカトマンズ郊外の山の上のナガルコットというリゾート地のホテルに泊まりました。 どちらもネパールでは高級リゾートホテルの部類になります。
 ナゴルコットのホテルのレストランは大きなドーム状の建物で、そのドームの1/3くらいは半地下のプールになっています。 プールを上から眺めながら食事をとるという珍しい構造になっています。

【ナガルコットのホテルのレストラン】
 
  そんなレストランなので地元の人々が食べる料理と必ずしも一致しないと思いますが、 代表的なネパール料理はダルと呼ばれる豆スープ、そしてカレー、ライスが基本で、大きな丸い皿の中央にライスが盛られ、 小さな器に料理が入っています。カレーは何種類も出てきますが、そんなに辛くはありません。 香辛料もさほどきつくないので日本人にも比較的受け入れやすいようです。

 
  以上、ネパールの旅を簡単に紹介してきましたが、この紀行文では紹介しきれない場所やエピソードなどを記載した旅行記を別途公開しています。 「旅のチカラ研究所」のホームページの旅行記「ネパール紀行2023」を是非ご覧ください。
  http://tabinotikara.com/index.html

植木圭二
 
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