パナソニック電送社友会
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No.300
モロッコ紀行

2023年4月
植木圭二
 
 アフリカ大陸の北西端のモロッコに夫婦で行ってきました。モロッコは実に刺激的な国で、新型コロナウイルスのため3年ぶりの海外旅行になったこともあって感動の連続でした。そんな異国の10日間の旅を紹介します。
 
█ カサブランカ
  成田からドバイまで12時間、ドバイからモロッコのカサブランカまで9時間、乗り継ぎ時間も入れると24時間にもなります。
  そのモロッコの人口は約3600万人、飛行機が着いたカサブランカは人口約400万人、モロッコ最大の商業都市ですが、首都ではありません。
  市内にはトラムも走っていてヨーロッパの都市のような感じがします。それもそのはず、モロッコはヨーロッパに意外に近く、 モロッコ北端とスペイン南端の間のジブラルタル海峡の最狭部は14kmしかありません。

【カサブランカの市街地 トラムも走っている】
 
 カサブランカといえば映画「カサブランカ」が有名です。 言い方を変えるとあの映画によってカサブランカが有名になりました。そしてあの映画は日本にも影響を与えて、 名セリフを残しています。例えば「君の瞳に乾杯」、「あれを弾いて、サム、時の過ぎ行くままにを」などです。 「君の瞳に乾杯」はもはや日常用語と言ってもいいかもしれません。また「時の過ぎ行くままに」は阿久悠が作詞して沢田研二が歌ってヒットしました。 同じコンビで「カサブランカ・ダンディ」などという楽曲も作られました。
  このように日本にも影響を与えた映画でしたが、この映画はカサブランカで撮影されておらず、全てアメリカのハリウッドで撮影されました。

  大西洋に面したカサブランカ、その海に近い場所に「ハッサン2世モスク」があります。巨大なモスクで、建物内で2万5千人、 敷地内で8万人もの人々が同時に礼拝できます。モスク中央の緑色の屋根の部分は開閉式になっており、まるで野球場のようです。 その中央にそびえるミナレット(尖塔)の高さは200mもあります。

【ハッサン2世モスク ミナレットの下に見える緑の屋根の部分が開閉する】
 
█ 首都ラバト
  カサブランカから大西洋沿岸を約100km東に行くと、モロッコの首都のラバトがあります。ラバトは人口約65万人の政治の街です。 そしてモロッコは王国なので街の中心に王宮もあります。モロッコの政治と経済はこのラバトとカサブランカという北部の大西洋沿岸の地域に集中しています。

【王宮に続く道 奥に見えるのが王宮の門】
 
  市内にはカスバ(要塞)があります。カスバと言う言葉を初めて聞く人も多いと思いますが、要塞のことをこの地域では一般的にそう呼んでいます。 昭和30年頃に日本で「カスバの女」という演歌が歌われましたが、あの歌はカスバを舞台にしたものです。私はタイトルだけは知っていました。>
  「ウダイヤのカスバ」の入口はトム・クルーズ主演の映画「ミッション・インポッシブル」で撮影に使われた場所で、 カスバの入口近くの階段を自動車が走って降りるシーンになりました。

【ウダイヤのカスバ 映画ではこの階段を車で降りた】
 
  門をくぐり旧市街地に入ると、城壁に囲まれており、その城壁の一角にカスバが充てられているという造りになっています。 道は結構入り組んだ迷路になっており、モスクや商店、人々が住む一般の住宅も多くあります。
  その住宅の壁は白く塗られており比較的綺麗になっていますが、壁には窓はありません。 イスラム教では家に居る女性は外の人に顔を見せないということから一般住宅では窓を作る風習がありません。

■青い街シャウエン
  ラバトからさらに東に行き、地中海に近づくと山の斜面にへばりつくように広がるシャウエンという街があります。 この街は青い街として有名で観光客にとても人気があります。

【シャウエンの街並み】
 
  青い街とは、街にある建物の下半分あるいは建物全体を青く塗っていることで成り立っています。 細部を見ると青い部分に花などのアクセントをつけた建物もあります。
  この青い街が注目されるようになったのは最近のことです。 最初は街全体ではなく特定の建物だけ青かったのですが、誰かがそれをインスタグラムで紹介して話題になって、 青は各建物に広まりました

【シャウエンの街の青い建物】
 
█ 迷路の街フェズ
  シャウエンから南下していくとフェズという古都があります。フェズは世界一複雑な迷路の街として有名です。 大きな「ブージェルード門」をくぐると旧市街の迷路の街に入ります。

【ブージェルード門】
 
  旧市街の道は狭く、確かに迷路で、曲がる所を間違えるとすぐに迷子になりそうです。 この狭い道にも荷役のロバがいて、荷物を運んでいます。狭い道の両脇には様々な店があり、 肉、魚、青果、衣料品、皮製品、調度品、土産物、どれも小さいながらも一国一城の主が一所懸命に働いていて、 誰も悲壮感なく和気あいあいと仕事をしています。
  路地を歩いていると何ともいえない臭いがしてきます。生活臭に加えて、料理を作る香ばしい匂い、 家畜の臭い、それらが混ざった複雑な臭いになっています。 肉屋では牛や羊の生肉を売っており、皮を剥いだ体の半身が吊るされています。 羊の頭だけが台の上に置かれたおり、何となくこちらを見ているのがおどろおどろしく感じます。

【市街地の中の迷路】
 
  革製品販売店に入り店の屋上に登ると、先ほどまでの臭いとは全く違う今まで経験したことがないような強烈な臭いがします。 屋上から見える景色は洗濯物がたくさん干されていて、洗濯をする浴槽のようなものも並んでいます。 しかしさらによく見ると干されているのは洗濯物ではなく、 動物の皮です。牛や羊の皮を剥いでそれを洗って干しています。その臭いが強烈だったのです。

【屋上から見た干場 洗った動物の皮を洗って干している】
 
█ アトラス山脈
  モロッコは大西洋と地中海に面しており、内陸部は世界最大のサハラ砂漠が広がっております。 その砂漠の手前にアトラス山脈が横たわっていて、アトラス山脈はモロッコからチュニジアまで 全長約2500km、最高峰は標高4000mを超えます。
  アトラス山脈の麓、アトラスシダーと呼ばれる背の高い木が立ち並ぶ地域があります。 シダーの日本語訳は杉ですが、日本の杉とは少し違うようです。 日本の杉はヒノキ科ですが、アトラスシダーはヒマラヤ杉やレバノン杉と同じスギ科なので こちらの方が国際標準の杉のようです。

【アトラスシダーの林】
 
  そしてアトラス山脈の峠越えです。バスに乗って曲がりくねった道を登って行きます。峠といっても標高2000m以上もあるので、 風は冷たく、少しピリッとして気持ち良く感じます。

【アトラス山脈の峠】
 
  アトラス山脈を越えるとバスは砂漠を走ります。砂漠の向こうにはアトラス山脈が真っ白く雪化粧をしており、 この組み合わせは日本でまず見ることはないでしょう。

【砂漠の向こうにアトラス山脈の雪山】
 
█ 砂漠
  アトラス山脈を越えると砂漠地帯になります。砂漠の中で水がある場所はオアシスと呼ばれていますが、 私は初めて本物のオアシスを見ることになります。
  平らな砂漠にポツンと木々が生い茂る平地があるのだと思っていましたが、 私たちの目の前にある「ズィズ・オアシス」は一段低い窪地になっており、 むしろ渓谷です。それも大きな渓谷でナツメヤシの木々が生い茂っています。 この景色を眺めてアフリカ大陸の砂漠地帯にやって来たという実感が湧いてきます。

【ズィズのオアシス】
 
  エルフードという街に宿をとり、朝早く起きてサハラ砂漠から昇る日の出を見に行きます。 真っ暗な中、迎えの4WD車に乗ってホテルを出発して、ラクダが待機するラクダステーションに着いたのは6時前、 まだ真っ暗で月が出ています。
  そしてラクダに乗って砂漠を進みます。ラクダは非常におとなしい動物で、 声も出さずに黙々と歩きます。その速度は人間が歩くよりも少し早い程度で、 ラクダの背中を挟んだ私の太ももからはほんのりとラクダの体温が伝わってきます。 朝早く少し寒いので、実に心地よくありがたいものです。

【ラクダに乗った私 真ん中右には満月が見える】
 
  満月が西の空の低い位置に移動しますが、東の空はまだ明るくなりません。 この光景はまさしく“月の砂漠”の世界で、「月の砂漠を遥々と旅のラクダが行きました」 という歌が聞こえてくるようです。
  月が沈み、今度は星が綺麗に見え始めますが、それも束の間のことで、やがて東の空が白んできます。
  そして日が昇り、サハラ砂漠が鮮明に見えてきます。大小様々な砂の波があって、 それらが丘を造って、その丘が幾重にも連なって遥か彼方まで続いています。砂はややオレンジ色をしており、陽光を受けてさらに赤みを増して、丘もオレンジ色になっています

【サハラ砂漠の朝】
 
  日が昇ってまたラクダに乗り、ラクダステーションに戻ります。途中で朝の陽光を受けた私たちのキャラバンの写真をラクダ使いに撮ってもらいました。 実に思い出深い良いショットになりました。

【私たちのキャラバン 先頭のラクダに乗っているのが私、2番目は妻】
 
█ カスバ街道
  アトラス山脈の南側をバスが走ります。この辺りは大小のカスバ(要塞)が多くあってカスバ街道と呼ばれています。 つまり昔は戦略的要衝地帯だったことになります。
  ワルザザードの街にはカスバが多くありますが、現在は映画の撮影にも良く使われます。
  有名な「オスカースタジオ」があって、入口にはエジプトのラムセス2世の像がありますが、 像の塗装がはがれて像の後ろの石柱の上の部分は“張りぼて”なので穴が開いています。
  いかにも映画のセットというものです。この映画スタジオでバットマンやMr.ビーンなども撮影されており、 門にはそれらの絵が描かれています。案内板にはアフリカだけでなく、 世界各地用のスタジオもあると書かれています。
  かつて映画カサブランカはハリウッドで撮影されましたが、 それが今では逆転して世界各地の映画はモロッコで撮られていることが多いようです。

【スタジオ入口のラムセス2世像】
 
  「アイットベンハドゥ」という小さな街は小高い山の麓から中腹にかけて建物があり、 街全体がカスバになっています。幾重もの城壁で囲まれており、 頂上には大きな建物があり食料や武器の倉庫になっています。
  このカスバは世界遺産にもなっており、今まで見てきたカスバよりも大規模で、 要塞が都市化しています。オアシスに出来た都市なので川も緑もあって砂漠や 山にも隣接して彼方には雪のアトラス山脈が見えます。 ここは生活に便利でありながら戦略的要衝だったことが分かります。

【世界遺産の要塞都市アイットベンハドゥ】
 
  アイットベンハドゥの内部は、要塞なので狭い迷路になっています。 それでも所どころ喫茶店や土産物店があり、店番をしているのはここの住民でしょうか、 のんびりとしています。今までバスが停まる写真スポットに集まってきた 物売りたちは何とかして金を稼ごうと売り込みがしつこかったのですが、 ここではそのようなことは感じられません。世界遺産なので黙っていてもお客が来るからでしょう。

【世界遺産の要塞都市アイットベンハドゥの内部】
 
  頂上に登ると見晴らしが良いので要塞として造られたことが理解できます。 周囲に広がる景色も素晴らしく、眼下に広がる砂の平原では映画「グラジエータ2」を 現在撮影中とのことです。もちろん世界遺産の区域外ですが、 格闘シーンの背景にこの要塞都市が映し出されるのでしょう。

【街の頂上からみた街や小高い山 山の左側でグラジエータ2を撮影している】
 
█ マラケシュ
  再びアトラス山脈を越えて古都マラケシュに着きました。 これでモロッコの主要観光地を時計回りに観てきたことになります。
  マラケシュはアトラス山脈を背後にしてモロッコのほぼ中央に位置し、 標高450mの平地にあって、約100万の人々が暮らしています。かつての首都で歴史文化が集約して エネルギッシュな人々が集まっています。それゆえモロッコの縮図とも呼ばれています。 比較的緑が豊かな土地で一般的なアフリカのイメージではありません。
  旧市街地に入るとまず目に留まるのは一際高い77mのミナレット(尖塔)の 「クトゥビア」で、周辺にあるナツメヤシの木々を配下にしたような感じで悠然と建っています。

【77mのミナレットのクトゥビア】
 
  「バヒア宮殿」はイスラム教らしく幾何学模様、ステンドグラス、豪華な部屋がたくさんあります。 何しろここで暮らした王様は正妻4人と妾24人がいたので、この位の広さは必要だったのでしょう。

【バヒア宮殿の内部】
 
  王宮の門を出て少し歩くと、「ジャマエルフナ広場」に出ます。ここは広い広場で、 とにかく雑踏が凄くて、たくさんのテントが並んで様々な品物を売っています。品物を売るだけではなく 屋台もあり様々なものが食べられます。本日は週末でもないのに夕方になるにつれてどんどん人が増えてきます

【夕方のジャマエルフナ広場全景】
 
  物売りや屋台以外に民族音楽の演奏、サル回し、ヘビ使いもいます。 私はヘビ使いなどというものは映画や昔話の世界だけかと思っていましたが、 現実に目の前にはヘビ使いが吹く笛の音に反応してキングコブラが頭を持ち上げて 戦闘体勢をとっています。それは極めてショッキングな光景です。

【ヘビ使いとキングコブラ】
 
  旧市街地の中でもひと際込み入った商店街はスークと呼ばれています。 日が暮れるにつれて大勢の人が現れて、さらにエネルギッシュになっていきます。
  このマラケシュで私たちのモロッコの旅は終わりです。非常に刺激的で良い旅になりました。

【夜のスーク】
 
  今回の旅で巡ってきた都市を地図に記しておきます。
  モロッコの国土面積は日本の約1.22倍あって、今回の旅だけで巡るのには時間が足りませんが、 それでもモロッコという国を感じることができました。

【今回巡ってきたモロッコの都市・観光名所】
 
  以上、モロッコの旅を簡単に紹介してきましたが、 この紀行文では紹介していない場所やモロッコの人々の生活、 ツアーのエピソードなどを記載した旅行記を公開しています。
  「旅のチカラ研究所」のホームページの旅行記「モロッコ紀行2023」を是非ご覧ください。
http://tabinotikara.com/index.html

植木圭二
 
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