1973年(昭和48) 78歳
自分用ファクシミリ市場を創造した「パナファクス2000」
1973年(昭和48)3月、電話回線が解放された。従来のファクシミリは、電電公社(現在のNTT)の専用線または準専用線を使用するものであったため、需要は官公庁、報道機関、1部の大企業に限定されていたが、これによって広範な事務用ファクシミリの普及が見込めることになった。
当社は回線解放と同時に、日本で初めての本格的な事務用ファクシミリ「パナファクス2000」を発売。この製品は、それまで別個にあった送信機と受信機を一体化し、専用回線でも一般回線でも兼用できるなど、画期的な特性を持っていたことから、たちまちベストセラーとなり、発売後わずか数カ月で1000台という当時としては脅威的な販売実績を上げた。
1+1は1にしないと、ヒット商品は生まれない
このファクシミリの開発には、創業者の一方ならぬ思いがあった。回線が解放される5年前のことである。創業者はファクシミリ部門の責任者にこう言った。
「君、二つの機械を一つにできないか」
「ファクシミリは送信機と受信機から成り立っています。新聞社で使用しますので、受信機を編集局に置いて、出先から送信生で原稿を送信するのです。送信機と受信機を1つにすると、機械も大きくなりますし価格も非常に高くなります。それよりも送信機に受信機は入らないのです」
創業者は言った。「新聞社の仕事しかないのか。一般に使おうとすれば、送信機と受信機が1つになっているような機械があれば、使う人は便利やで」
さらに後日、こう要望した。「1+1は2だが、商品開発では1+1 は1なんだよ。大きさも重さも、そして科学も1+1 は1にしなければ、ヒット商品は生まれない。今からそのつもりで急いでやってくれ」
創業者は、近い将来必ず電話回線が解放される時が来る。その時は、送信機と受信機が一体化した機会でなければお客さんの要望に応じられないと固く信じていたのである。
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