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オセアニアクルーズ便り(6)

2018年3月1日
植木 圭二

 

 太平洋を北上して日本に向かって航海中です。ニューカレドニアを出てガダルカナル、ラバウルという太平洋戦争の激戦地域を回ってきました。そして3月2日には硫黄島を周遊する予定ですが上陸はしません。

 横浜には3月4日に帰港します。 このオセアニアクルーズ便りも今回で終了させていただきます。

 

■ガダルカナル島
 2月22日、ガダルカナル島のホニアラ寄港です。ここホニアラはソロモン諸島という国の首都で、私はこの国もこの都市も船に乗る前は知識が無く、船の中の紹介企画で知った程度です。

 
  突き刺すような日差しがきつく暑い。

 暑いはずで、本日は太陽が真上から照らす時期と位置にあるので、正午頃には頭上から太陽光が射すので影がほとんど出来ないという現象になります。

 水筒には真上から太陽が照らすので、 影はほとんど出来ません。

 

 そんな異国の暑いところが太平洋戦争の激戦があったとは非常に辛い気持ちになります。それは戦闘で死んだ兵士よりも餓死や病気で死んだ兵士の方が多いので別名「餓島」とも呼ばれています。

  小高い丘の上にアメリカ合衆国の記念碑があり、周囲の海や街を一望できる場所なので景色も良い。戦績や作戦の説明などが石のプレートに刻まれています。

 
   日本軍と連合軍が対峙して戦闘が繰り広げられたアリゲータ・クリークという川があり、爆破されたらしい橋の跡があり川は深い木々で覆われています。
 
 

 マーケットに立ち寄ると、大きな屋根の下の広い空間は人と品物で溢れています。野菜、果物、穀物、魚、服、油や薪に至るまで売られており、現地に暮らす人々の生活を支えている場所になっています。

 この島は日本人にとっては特別な場所ですが、観光客は極めて少ないようです。

 
 

■ラバウル
 ラバウルと言えばパプア・ニューギニアの都市というよりも、旧日本軍の基地があったことで有名で、太平洋戦争の開戦後間もなく基地ができ、最大で9万人の兵士がいたという場所です。

  最初に行ったのはラバウル飛行場跡で、多くのゼロ戦がここから飛び立った場所です。戦争の後も1994年まで実際に使われていましたが1994年にすぐ近くの火山が爆発したので灰に埋もれ使用不能になり、今はただ広い平原と化しています。

 
 

 飛行場跡の近くの海岸で火山の熱で高温な湯が沸き出しているので海の水と混ざり合って適当な温度のところで入浴できる温泉があります。とはいってもシャワーや脱衣場がある訳ではなく、その辺で水着に着替えて入るというワイルドな温泉です。

 目の前に噴火した火山があり、今でも少し白煙を上げています。この温泉も数少ない観光資源なので地元の人々の露天商が20か30店くらい出ており、なんとも不思議な光景です。

 
 
   ヤマモト・バンカーという防空壕跡があります。連合艦隊司令長官の山本五十六が南方視察で数日間過ごしたという場所で、地下豪なのでヒンヤリとして気持ちが良いところです。

  壁には落書きがいくつかあり、最近になってから来た日本人のもので旧日本軍での階級や住所が書かれているので、多分慰霊に訪れたのだろうと思います。

 
   ラバウル・カルデラ展望台からの眺望は本当に素晴らしい。ラバウルの街やラバウル湾が一望で、先ほどの温泉や私たちの乗ってきた船も見えます。青い海に緑の山、そして灰色の街並みや道路が面白いバランスで配色されています。

  1994年に爆発した火山、それよりも昔に爆発した火山などたくさんの火山跡が見えます。

 
 

■月の満ち欠け
 2月25日の夜10時頃に赤道を通過すると航海図に書かれており、夕方ぼんやりと海を見ていると半月が目に留まります。上弦の月ですが、横ではなく縦方向に弓の弦はしなっています。ちょうどお椀をひっくり返して置いたような月です。

  南半球では月の満ち欠けが北半球とは逆になり、そして赤道付近では月は上下に満ち欠けます。

 
   
 

尚、洋上特設ブログのURLで少し詳しく紹介中です。


 
 

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