今年の春は天候不順で 心配していた天候も「歩こう会」当日のみ晴れて 櫻も満開 絶好の花見日和になりました。
今回も新人?一名を加えて11名が定刻に「衣笠駅」に集合し 近所で食料 飲み物を調達後 すぐに出発。市街地を抜けて住宅街の坂道をゆっくり登って行くと「衣笠神社」に到着します。
まず本日の行程の無事を祈願して小休止。すでにこの辺から花見客がチラホラ…。
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「衣笠神社」で本日の安全祈願 |

.「衣笠山公園」での「さくら祭り」
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宴会が待ち切れない連中は さっさと頂上の公園目指して先行しましたので 人数把握が出来ず大変困りました。
頂上は櫻も満開で凄い人出でしたが ここで先行組と無事合流出来ました。ここは明治40年に開園した公園で「日本さくら名所100選」にも選ばれた 桜2千本を誇る公園です。
丁度 地元主催の「さくら祭り」の真最中で いろいろな出店も沢山出ていて大変な盛況でした。
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随所で思い思いの酒宴も開かれており さすがに櫻の名所だなーと思いました。われわれも早目の昼食を楽しみました(早く着いたので満開の桜の下の好位置にシートを広げて陣取る事が出来ました)。
早速準備して来た食料、飲み物を広げて昼食会。 |

公園での一等地を確保、これから宴会 |
例によってコーヒーも沸かしてしばし談笑。さて これからが本番!三浦一族の歴史探訪へ出発。 |

思い思いの弁当で・・・・ |

ほろ酔い気分の方も、足元注意して |

平坦道は余裕しゃくしゃく |
この衣笠公園より谷一つ隔てた山頂にある“衣笠城跡”へと向かいました。しばらく山道を下り 住宅地を抜けてダラダラ坂を登り 更に急坂を登ると“衣笠城跡”です。山全体を城とした平安時代後期の築城で 当時の痕跡はほとんど無く 物見岩と石碑のみがあり われわれの城のイメージとは大分違った土塁の城跡でした。 |

衣笠城址 案内図 |
三浦一族の始祖為通以後四代に渡る三浦一族の拠点城。四代目三浦大介義明が源頼朝の小田原・石橋山挙兵に応じ 畠山重忠に攻められ衣笠合戦で一族を逃がした後 落城(1180年)、89歳で切腹 衣笠城時代が終りました。
山頂の物見岩から下がった所の広場も桜が満開で何組かのグループの酒宴が見られました。 |

道端のタンポポの群落 |

西洋タンポポ?、日本タンポポ? |

住宅地の急坂 |

衣笠城址での記念撮影 |
更に道を下ると途中にある「大善寺」で休息して記念撮影。この寺も三浦一族の学問と信仰の中心であった寺です。 |

下山途中の「大善寺」で休息 |
ここから急坂を下り 住吉トンネルを潜って舗装道路を進むと 三浦大介義明の死後 源頼朝が大介義明の菩提を弔うために衣笠城下の大矢部に御霊大明神と名付けて「満昌寺」を建立し 菩提を弔っています。 |

本日の後半、寺巡りに出発 |

衣笠城四代続いて落城自決した三浦大介義明の墓 |
本堂前に頼朝お手植えの躑躅(ツツジ)が残っており 周囲を見学しました。ここを後にして最後の見学予定地 「清雲寺」へ向いました。 |

大介を弔い、源頼朝が建立した満昌寺の頼朝お手植えのつつじ |

三浦三代の墓の有る清雲寺 |
この寺は「三浦大介義明」以前の三代の墓がある寺で しばらく見学後 大矢部三丁目のバス停よりバスに乗車し 京急「北久里浜」駅に無事到着。駅前で2時半頃解散しました。
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.大矢部のバス停でくつろぐ |
今回は 平安時代から続く三浦一族の歴史を勉強しながら 本拠地のあった“衣笠城跡”を中心とした歴史探索で 花見も兼ねた楽しいハイキングでした。 |
「余談」
この時期のハイキング行程中 道の両端に可愛い黄色の花を咲かせている「タンポポ」の種類「外来種」と「在来種」の違いが論議を呼び 自称園芸知識の豊富なメンバーが西洋タンポポ 日本タンポポ の違いを説明し 道すがら随所で立ち止まり論議に花を咲かせました。
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(参考までに文献による違いを記述)
外来種は 春から開花時期が長く 茎が在来種と比較すると長く高い。夏場で見かけるタンポポは概ね西洋タンポポ。 見分け方は 花をひっくり返してみると花弁の付け根(総苞片)が反り返っているのが外来種 反り返っていないのが在来種 西洋タンポポの繁殖力は強いが寒さには弱いそうです。

外来種のタンポポの総苞 |

在来種のタンポポの総苞 |
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