まず1913年 北原白秋作「城ヶ島の雨」 "雨はふるふる城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる"と刻まれた大きな白秋碑を見学しました。
ここは当時ロマンの島として有名になりました。その記念碑の前で記念撮影をしました。この碑も歴史と共に昭和に入り島全体が東京を守る要塞地帯になって、島には一般の人は入れず、今の碑は 戦後1949年に帆の形をした根府川石で建立されました。
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城ヶ島大橋の袂、白秋記念碑、前で記念撮影 |
島の北側「水っ垂れ」までの波打ち際の難所」その1 |
まず島の東に向かって、かなり危険な岩礁地帯の波打ち際を岩伝いに進み、島唯一の「湧き水」の出ている「水っ垂れ」を見物、ここは歴史有る鎌倉時代より続いており 当時頼朝がこの水で茶を沸して飲んだと言い伝えられていて、最近までここに松の巨木が海に向かって枝を伸ばしていたそうですが、最近「松食い虫」にやられて枯れてしまったようで 残念でなりません。 |
島の北側「水っ垂れ」までの波打ち際の難所」その2 |
島の北側「水っ垂れ」までの波打ち際の難所」その3 |
更に岩礁地帯を足元に注意しながら進み やがて開けた所に出て、ここが東の外れ「安房ケ崎」(あわがさき)です。 |
この難所も、そろそろ終り、全員無事 |
安房崎灯台より城ヶ島公園への登り |
この岩礁に灯台が建ち 特徴としては灯台の胴がくびれていて 西端の長津呂崎にある城ヶ島灯台は胴が丸みをおびた筒型として区分されています。ここからは島の西に向かって進みました。 まず島の頂上へ。
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頂上といっても台状の平坦な地形で、この辺一帯が「県立城ヶ島公園」として整備されており、ここの展望台付近で昼食。
ちょうど大きな丸テーブルが空いていましたので全員輪になって談笑しながらの昼食となりました。 |
公園、展望台下の丸テーブルで海を見ながらの昼食 |
昼食も終り、そろそろティータイム(ビールも見えるが?) |
昼食目当ての「鳶」が20羽ほど上空を舞い、戯れる |
いよいよ午後の出発 |
食後は上空を舞う「鳶」と戯れて、いよいよ午後のコースへ出発!
芝生の広場もあり、車の乗り入れも出来て 家族ずれが多数ピクニック気分を楽しんでいました。今度は島の南側を中心に散策しました。
ちょうどツワブキや磯菊の満開の時期できれいな花が沢山咲いていました。 |
公園正面で記念撮影 |
舗装道路を進み「海鵜(ウミウ)展望台」に出て 南の海を眺望(島の北側と全く違い絶壁の続く海岸線)。 ウミウの群生地が有り、展望は房総半島も望む景勝地です。
この島全体が関東大震災で隆起を繰り返し 奇岩等が随所に見られ 次の「馬の背洞門」も(写真参照)以前はこの中を小船で行き来していたそうですが 今は天井の岩も崩落の危険があり立入禁止。戦時中には島全体に砲台が多く作られましたが、すぐに土地の隆起で傾き、とうとう廃止になってしまったと言われています。 |
ウミウ展望台より、長津呂方面を望む(ここを正面の建物まで磯伝いで・・) |
馬の背洞門、付近で磯遊び |
しばらく"馬の背洞門"前の磯で遊び、更に波打ち際を散策路に沿って西に進み 千畳敷きの広々とした「長津呂(ながとろ)」の磯に到着 |
この上に「城ヶ島灯台」が有ります。灯台を見物して坂を北側に向かって下りると、みやげ物店・食堂等の有る島一番の賑やかな通りを 店を覗きながら今度は島の北側を東に向かって進み 大橋の袂にある船着場より、三崎港までの渡し舟に乗船(我々の貸切でした)。
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城ヶ島灯台 |
城ヶ島ー三崎港 への渡し舟 |
数分で三崎漁港前に到着。
ここでまぐろ・魚介類の土産を購入し バスで三崎口駅へ。駅前で15時30分頃解散しました。 |
三崎漁港売店での買出し風景 |
どう言う訳か、一人だけ、漁港で野菜の買い物 |
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今回は、昼食時に丸テーブルで次回の企画を話し合い 全員賛同で 湯河原の"天照山〜万葉公園"の紅葉見物と決定しましたので 恒例の反省会は省略致しました。
今回は従来に無い危険個所も幾つか有りましたが、お互い助け合い全員無事故で終了する事が出来ました。
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