会員便り

パナソニックミュージアム訪問

平成30年4月
小南 拓治

 

  パナソニック創業100年を記念して、新装なったパナソニックミュージアムを見学しました。

 従来の松下幸之助ミュージアムと全く同じ形で、さらに精密な検証のもとに新たな記念館が建設され2つの記念館となり1つが「松下幸之助歴史館」、2つ目が「ものづくりイズム館」となって、多くの皆さんに公開されています
 (京阪電車  西三荘駅前)

 
   「ものづくりイズム館」にイノベーション商品として「パナファクス2000」が展示されており、特別にパナ2000の展示部分を4月7日に見学させていただきました。

 通常は過去100年の「パナソニック商品見学ツアー」として、設定コースの見学申し込みで見学できるシステムになっているようです。

 
   しかし今回はミュージアムに知人が勤務している関係で特別に個人見学として受け入れが可能となり、展示ルームの鍵を開けて見学させていただき説明を受けました。
   ミュージアムのパンフレット、ツアーで説明される「パナ2000の説明文内容」を入手することができました(下記に掲載)

  また本年正月元旦のパナソニック創業100周年全国新聞紙すべての全面広告には、昭和49年経済企画庁に採用されたパナ2000のオフィス設置写真が掲載されていました。

  松下電送は事業統合と再編により姿を消しましたが、パナソニックの歴史を語る歴史館に厳然として残されている事は何となく嬉しい気持ちになりました。 FAX No1メーカーとして存在した電送魂の誇りでもあります。

 

1973年(昭和48) 78歳
自分用ファクシミリ市場を創造した「パナファクス2000」

 1973年(昭和48)3月、電話回線が解放された。従来のファクシミリは、電電公社(現在のNTT)の専用線または準専用線を使用するものであったため、需要は官公庁、報道機関、1部の大企業に限定されていたが、これによって広範な事務用ファクシミリの普及が見込めることになった。
 当社は回線解放と同時に、日本で初めての本格的な事務用ファクシミリ「パナファクス2000」を発売。この製品は、それまで別個にあった送信機と受信機を一体化し、専用回線でも一般回線でも兼用できるなど、画期的な特性を持っていたことから、たちまちベストセラーとなり、発売後わずか数カ月で1000台という当時としては脅威的な販売実績を上げた。

    1+1は1にしないと、ヒット商品は生まれない

 このファクシミリの開発には、創業者の一方ならぬ思いがあった。回線が解放される5年前のことである。創業者はファクシミリ部門の責任者にこう言った。

    「君、二つの機械を一つにできないか」

 「ファクシミリは送信機と受信機から成り立っています。新聞社で使用しますので、受信機を編集局に置いて、出先から送信生で原稿を送信するのです。送信機と受信機を1つにすると、機械も大きくなりますし価格も非常に高くなります。それよりも送信機に受信機は入らないのです」
 創業者は言った。「新聞社の仕事しかないのか。一般に使おうとすれば、送信機と受信機が1つになっているような機械があれば、使う人は便利やで」

  さらに後日、こう要望した。「1+1は2だが、商品開発では1+1 は1なんだよ。大きさも重さも、そして科学も1+1 は1にしなければ、ヒット商品は生まれない。今からそのつもりで急いでやってくれ」

  創業者は、近い将来必ず電話回線が解放される時が来る。その時は、送信機と受信機が一体化した機会でなければお客さんの要望に応じられないと固く信じていたのである。

「パナ2000の説明文」

   技術者は、激しい議論を交わしながら、部品の制作から始めた。またファクシミリの読み取り技術、書き込み技術、通信技術を根本的に基本から研究し直し、新技術をを開発して多くの特許をとった。
 ようやく創業者の眼鏡にかなう事務用ファクシミリ「パナファクス2000」が完成したのは、電電公社の回線解放の3ヶ月前であった。

  回線開放の日に合わせて、全国一斉に発売すると同時に、その日の新聞の朝刊に、業界で初めての1ページ広告を打った。「今日から書類を電話に乗せてお送りください。」この新聞広告は、大きな反響を呼んだ。

  回線開放の実施と「パナファクス2000」は、日本の事務用ファクシミリの市場を急激に拡大し、アメリカ、ヨーロッパなど欧米市場でも国内以上に高く評価された。


写真コメント「1974年(昭和49)経済企画庁に採用された「パナファクス2000」
 
 
   
 
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